ニリンソウ
私が木版画を始めたきっかけは、先輩に出した年賀状の版画。山岳会の機関紙の表紙をほぼ強制的にやらされたのが最初である。機関紙「ポンポン山」に私の版画が登場するのが1985年5月に発行された第78号の表紙に「金比羅山より大原の里」が載っている。古い機関紙の束の中から探ると35年間続いたということになる。最新の機関紙「ポンポン山」が388号となっているので、欠番があると考えても250枚前後は作成した。画材の生みの苦しみは毎回訪れる。山登りの途中でも、なにか版画になる材料は無いかと神経を尖らせて歩いているのだが、回を重ねるごとに材料は減少する。しかし、悪いことばかりではない。メンバーの中で一番先に花を見つけたり、きのこを見つけたりする能力は人より数段発達している。思わぬ副産物である。
この版画は信州上高地の明神から徳本峠へ向かうと、白沢沿い左に広がる扇状地一面に群生する二輪草。濃緑の葉っぱの上に真っ白い花が無数に咲き乱れ、まるで海の白波のようだと感動した。